1996年 第42回 江戸川乱歩賞 
 ひだりてにつげるなかれ
左手に告げるなかれ

受賞者:渡辺容子(わたなべようこ)
ISBN1

選評者 : 阿刀田高 大沢在昌 北方謙三 高橋克彦 皆川博子 (選評者の氏名をクリックすると、それぞれの選評が表示されます。)
選考委員: 阿刀田高 大沢在昌 北方謙三 高橋克彦 皆川博子 
予選委員: 香山二三郎 郷原宏 関口苑生 松岡智惠 山前譲 結城信孝 
選考経過:  

受賞の言葉
 台風が上陸間近のひどく荒れた夜だった。傘を飛ばされそうになりながら当日券あり、という新聞の文字に引きよせられるように、ひとりコンサートに出かけたことがある。
 アメリカから来日したアーティストはアンコール曲を歌いながら、悪天候の中をよく来てくれたとの感謝の印か、両手いっぱいの真紅の花をちりばめるように客席に放ってファンを沸かせた。だれの人生も挫折と再起の積みかさねであるにちがいないが、ステージから飛んできた紅い花をつかまえた瞬間が、私にはいくつめかの新しい出発点を見つけ、立ち上がるきっかけになった。どうやって生きていけばよいのだろう。そんな息苦しくなるだけの悩みと迷いは、いかにしたらこの花を嵐の中、無事に自宅へ持ち帰れるかというそれにとってかわっていた。雨傘用の細長いビニール袋を利用しようか、などとあれこれ考えを巡らせているとき、私は自分の不幸を忘れた。まったく忘れていた。
 あれから五年。机の隅にあのときの薔薇が飾ってある。一枚ずつ壊れるように花びらは落ち、葉や茎とてすっかり色あせてかつての美しさはどこにもない。だがこの花を眺めては、日常の煩わしさ、憂鬱な出来事、悲しみや嘆き、孤独といった諸々の痛みを束の間、忘れてもらえる娯楽に徹した小説を書きたいと、夢を一輪、一途に育ててきたつもりでいる。面白い小説を書きたい。それを叶える力を身につけたい。思うのはこれしかない。


作家略歴
東京都生まれ。東京女学館短期大学卒業。
平成四年「売る女、脱ぐ女」で第五九回小説現代新人賞、平成八年「左手に告げるなかれ」で第四一回江戸川乱歩賞を受賞。


「第42回江戸川乱歩賞」の候補作を見る